鬱がきっかけで初めてのメンタルクリニックに行き、双極性障害と診断されてから、薬物療法により寛解に向かっていきました。
1年経った今では非常に安定した毎日(一般的に低め安定と言われる状態)を送れる様になった私の治療の経過を紹介します。
治療を始める前の私の症状については記事にしていますのでご覧ください。
病院の予約
メンタルクリニック(精神科・心療内科)は予約制の病院がほとんどだと思います。
どの病院がいいのだろうかとGoogleマップで探しましたが、再診だけで予約がいっぱいで初診受付をしていないところも多かったですね。
私の通う病院は開業してまもなく、比較的予約が取りやすかったため、電話した日から2週間弱くらいの日に予約が取れました。
鬱が辛くて受診に踏み切る人がほとんどだと思います。私も同様だったので、気持ちとしてはすぐにでも診てもらいたかったですが、難しいですね。
電話口のお姉さんから、症状、受診を考えた経緯などを少し聞かれました。話しながら涙が止まりませんでした。
お姉さん(初診時の受付の方でした)の優しい声に本当に救われました。
※私が住んでいるのは比較的田舎なので上記のような状況でしたが、都会であればもっと病院が多く予約が取りやすいのかも知れません。
いずれにせよ、受診をしようとしてすぐにできることは少ないと思われますので、思い立ったらまずは予約できるか電話(もしくはWeb予約)してみましょう!
※Googleマップのレビューはいろんなことが書いてありますが、あまり気にしすぎない様に!
私の通っている病院は私にとって非常に良い病院で先生も受付の人も皆さん優しいですが、評価は2.7ですw
初診日
診察時間の20分くらい前に来る様に言われていましたので、時間通り病院へ行き、問診票を書きました。待っている間も涙が出る出る・・・
受付のお姉さんに呼ばれて診察室に案内され、その後はお医者さんと一対一でのお話です。
大きめの窓から空だけが少し見えるお部屋で、扉が閉められているので、プライバシーが保たれていました。(待合室にいても、中の声が聞こえてきたことはないですね。)
45分くらいの診察で、現在の症状、過去の軽躁エピソード・鬱エピソードについて話しました。
(私は事前にYouTube等で調べて双極性障害ではないかとアタリをつけていたので、そのことも含め先生に伝えました。
あくまで診断をするのはお医者さんの仕事なので、「自分ではこんな風に思っています」程度の伝え方が良いかと思います。)
家族・親族の病気などについても聞かれましたね。
結果、「確かに双極性っぽいですね」とのことで、”ラツーダ”という薬を1日1錠(夕食後)、2週間分処方されました。
薬の説明などを受け、次回の診察予約を入れてもらい、診察終了。
近くの薬局でお薬をもらってから帰宅。
ラツーダ(一般名:ルラシドン)はまだジェネリックが出ていないお薬なので、意外に高額だと感じましたね。
翌日〜軽い躁転?
それまでは鬱が続いており、身体が重く(鉛様麻痺)、とにかく毎日寝てばかりだった私。
前日の夜に初めてラツーダを飲んだわけですが、翌朝にすぐに効果を感じ始めました。
「あれ・・・身体が軽い・・・?」
あれだけ重くて起き上がれなかった身体が、午前中のうちに自然と目覚めてベッドから起き上がることができました。
気持ちはそれほど変わっていないのに、”身体が”軽くなった、という感覚が不思議でしたね。
この頃は完全無職で引きこもっていたため、外に出なくては!とカフェに行きました。
かなりそわそわしており、次から次へと「これをしなきゃ!あれもやったほうがいいな」と考えが浮かんでは消えるので、ノートに思いついたことを次々殴り書きしていました。
これは私の中でのよくある軽躁パターンです。
今思えば、軽い躁転をしていたのではないかと思います。
しかしながら、時にはこういう衝動性が自分を助けてくれることもあります。
早く仕事をしなくてはと思っていたため、ネットで仕事を探しました。
ここで、現在の在宅勤務の仕事を見つけ、勢いで応募します。
翌日から面接に向けて履歴書や職務経歴書を作成し、初診から1週間後にはWeb面接を受け、合格しました。
続けられるかどうかの不安はありましたが、夫の収入だけに頼っていた日々、自分の収入もようやく安定して入ってくるかもしれないということで、大きな進歩のあった2週間でした。
2回目の診察
「体調はどうですか?」
私はこの2週間で次の仕事を見つけ、翌週からの仕事に前向きな気持ちでいることを伝えました。
先生は薬の効き目を見立て通りと思っている印象でした。
今回は1ヶ月後に再診の予約をとり、薬はラツーダの同じ量を継続です。
ここから先は、基本1ヶ月ごとの受診となりました。
じわじわと軽い鬱・不安感
始めた仕事は、コールセンターでのカスタマーサポートです。
「えっ・・・メンタル強くないとできない仕事じゃないの?」と思われる方もいるかもしれませんね。
今思えば、確かにメンタルがあまり弱いと続かない仕事です。
ですが研修が充実していましたし、もともと新しいことを習得するのは比較的得意な私。
結構優秀なスタートを切っていました。
しかしKPIの達成が求められる実力主義の職場ですし、
ダイレクトにお客様からのアンケートが返ってくる仕事。
一生懸命対応していましたが、やはり不安が大きかったため、アンケート結果には散々なものもありました。
ほとんどのアンケートは感謝の言葉なのですが、一つ二つ辛辣なメッセージがあるだけで、ぎゅうっと胃を握られるような感覚でした。
上司は私の働きを高く評価してくれていましたし、KPIもだんだんと上がっていきましたが、
私は勤務の日も休みの日も仕事のことばかり考えていました。
眠りも浅く、朝はすぐ目覚めてしまう。そのわりにだらだらと二度寝をする。
夫に、「寝言でもお客様対応してたよ」と言われることも何度かありました。
不安感が強く、じんわりと鬱気味な毎日が続いていました。
ちなみにこの間ラツーダが2錠に増えたタイミングがありましたが、気分が上がるわけではない上にアカシジアのような副作用が出てきたため、1錠に戻りました。
希死念慮がまとわりつく
在宅ワークで基本カメラもオフなのでお化粧の必要もない。
寝巻きで仕事をすることはありませんでしたが、ギリギリまで寝て起きて、仕事に向かうことができていました。
仕事の日はピリピリとしていますが、休みの日はやることがないため、結局過食に走ることになります。
コンビニやドライブスルーで買ったものを次々と車で食べる時間でした。
そんな中、1ヶ月ほど希死念慮に囚われる月がありました。
この希死念慮が自分から発生しているというよりは、どこかからやってきて自分に取り憑いている、という感覚だったのが不思議でしたね。
私が死んだら夫はどうするだろう、猫は?そんなことを考えることで、なんとか踏みとどまることができました。
孤独だと自殺しやすいというデータがあります。
私が自殺に至らないで済んだのは家族のおかげだと思いますね。
薬の種類が増える
受診時に希死念慮が辛いことについて伝えると、”ラモトリギン”が追加になりました。
この頃で、初診から5ヶ月経っていました。
このラモトリギンではラツーダの時の様な急激な変化はありませんでしたが、「死にたい」と思うことはなくなっていきました。
やっぱり薬ってすごいですね。
ちなみにラモトリギンには皮膚症状が出るという副作用があります。
私の場合もお腹に少し炎症が出たりしましたが、それが副作用なのかそうでないかはよくわからず、続ける中で自然と消えました。
徐々に安定〜寛解へ
ラモトリギンが増えてから、安定感が増していきました。
初診からちょうど1年ほど、現在の私はほぼ寛解と言っていい状態だと思います。
つい最近までも、通院のたびに「自分は病人なんだ、メンヘラなんだ」という気持ちになり過食が起こったりしましたが、それも徐々に受け入れられる様になってきました。
・仕事で成果が認められ、オペレーター業務よりもエスカレを受ける仕事が中心になってきました。
・契約社員から、在宅限定の正社員になることができました。
・夫の仕事の関係で隣の県に引っ越しをし、家が広くなり、リクライニングソファで大好きなアニメ鑑賞もできるようになりました。
治療に関して言えば、正直なところ「もう少し薬を出してほしい、気分が高めになるようにしてほしい」という思いもありました。
過去のテンションが高くハッピーな状態の私がいなくなってしまったからです。これはやっぱり、少し寂しいですね。
ですが双極性障害の治療では基本的に「低め安定」が吉とされます。
この「低め安定」は寛解状態を非常に良く言い表していると思います。
過去の自分から考えれば、確かに今の私は「低めに安定している状態」だからです。
- 軽躁状態で衝動的に怒って暴力的になる私は、ほとんど全く出てこなくなりました。
- 全く同じ状況でも、今の私は理性的に感情を抑えることができます。
- ソワソワして落ち着きがなく次から次へと考えが浮かぶような状態は出なくなりました。
- マインドマップなどを使い、落ち着いて頭を整理するようになりました。
- 鬱の時のズーーーンとした感情や不安に支配されることがなくなりました。
- なくなった今では、単に症状だったんだなと思えます。
子供のころの(双極性障害を発症するよりも前の)私は、側から見ればぼーっとしていて、のんびりとマイペースな人間でした。
でも、比較的物覚えはいいし、やるべきことは安定してできていました。
あの頃の自分に戻った様に思います。
もちろん再発防止のために、薬は変わらず飲み続ける必要があります。
薬を飲み続けていても、また軽躁や鬱がやってくるかもしれません。
でも、あくまでそれは”症状”。病気は自分自身ではない、ということを肝に銘じて生きていきたいと思います。
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